
本日は、当ブログに度々登場しているマグダラの聖マリアと、聖徳太子の妃である刀自古郎女について感じることを書いてみたいと思います。
いつかこのお二人について書いてみたいと思っていたのですが、刀自古郎女のエネルギーを感じる場所に伺う機会がなく、
実際にエネルギーに触れてから記事を書きたいと思っておりました。
昨年幸運にも奈良県明日香村へ足を運ぶ機会がございましたので、ようやくその願いが叶いました。
この記事を通して、皆さまが過去の時代に隠されてきた2人の女性について様々なことを考察し、
彼女たちの叡智に触れる良い機会になることを願っております。

マグダラの聖マリアは、イエス・キリストと行動を共にした女性として知られています。
イエス・キリストの磔刑の際に近くで見守り、また復活を皆に知らせた人物として新約聖書の福音書にその記載があります。
19世紀後半に見つかり、20世紀に入りその内容が公開された「ベルリン写本」内に「マリアによる福音書」があります。
この福音書では、新約聖書とは少し異なるマグダラの聖マリアの姿を知ることができます。
初期キリスト教の時代は、まだ「マリアによる福音書」が存在していたようですが、
その後の時代に忽然と姿を消してしまいます。
「ベルリン写本」を読み、その後の歴史的背景、政治的背景を見ると、次第にその存在が消されていった意味を考察することができます。
発見された時代が当時より1世紀以上前であれば、おそらくこの福音書は私たちが目にすることはなかったかもしれません。
そのような意味で、良き時代に発見されるようになっていたのかもしれません。
刀自古郎女は聖徳太子の妃で蘇我馬子を父に、物部氏の女性を母に持つ女性です。
敵対する蘇我氏と物部氏の双方の血を引き、物部氏討伐に参加した聖徳太子の妃となり、
後に息子を甥の蘇我入鹿に自害に追い込まれるなど、過酷な環境の中を生きた女性です。
マグダラの聖マリアと刀自古郎女は、実際に残っている資料が非常に少ないため、
現実的に史実を正確に把握することはできません。
しかし、歴史的に見ても当時重要な役割を果たしていたであろう人物の資料が少ない場合は、
女性に関しては社会的地位が男性より低い時代が存在した等という以外にも、
意図的に隠された、もしくは資料を改ざんされたという可能性はゼロではありません。
資料が少ない以上は知るための選択肢として、できれば縁のある場所へ足を運び、
「目に見えないものを視る」という方法を取ることがあります。
そうすることで意外なビジョンが降りてくることがあるからです。
マグダラの聖マリアと刀自古郎女をチャネリングしてみると、共有しているエネルギーがあることに気づきます。
マグダラの聖マリアの聖地へ足を運ぶたびに、刀自古郎女と共通する過去世があったのではないかと感じていたのですが、
今回明日香へ赴き、チャネリングをしてエネルギーに触れることで、過去世が同じであったと確信するに至りました。
マグダラの聖マリアは余生30年間余りを遠く離れた土地で祈りのために捧げたという言い伝えがありますが、
刀自古郎女もまた、出家して長野県善光寺の初代上人となったと善光寺が公表しています。
ここで視えたビジョンに共通することは、「目の前で無償の愛で繋がっている者がなくなるのを見た」、ということです。
無償の愛で繋がっている相手は師、家族、様々な見方があると思いますがここでは触れません。
双方深い悲しみの中、肉体は滅びても精神世界では繋がっているという悟りを経て、
世の平和のために祈りを捧げる姿がそこにはありました。
そして、非常に聡明な二人です。
蘇我氏は渡来人との関りが深く、当時様々な国の情報が集まってくる邸宅は、
今でいう外務省のような役割も担っていたと思われます。
刀自古郎女がそのような環境下で育った場合、自ずと多くの知識や経験を積むことができたでしょう。
20世紀にエジプトで発見された「ナグ・ハマティ写本」の中に「トマスによる福音書」という、
イエス・キリストが語ったと言われている言葉を集めた福音書がありますが、
その言葉を読むと、イエス・キリストの叡智について深く理解していなければ対等に対話ができなかったことが理解できます。
「マリアの福音書」には、マグダラの聖マリアがイエス・キリストの言葉を深く理解していたと思われる様子が書かれています。
また、二人がそれぞれ「香」を「祈り」に使用していたビジョンが印象的でした。
マグダラの聖マリアに関しては、イコンに香油が入ったアラバスター製の香油壺を持つ姿が描かれていて、
新約聖書にもイエス・キリストのために使用したという記載があり、元々香りには縁があります。
当時大変貴重な香原料を使用していることから、香りを理解して使用していたことが伺えます。
刀自古郎女は記載はないものの、蘇我氏と渡来人との交流を考えると、
シルクロードを通って日本へたどり着いた乳香などの香りに触れる機会があったように感じます。
「日本書紀」にも、推古天皇の時代に日本の淡路島に香木が辿り着いたことが書かれています。
その香木は聖徳太子が鑑定し、仏像を作成させたと言われています。
仏教では祈りの際には香を使用いたしますので、沈香や白檀についての知識はあったことと思われます。
刀自古郎女は、香と共に天に「祈り」を捧げるだけではなく、香を通して無償の愛で繋がる相手と対話していたのかもしれません。
共に時代が大きく変容する時に、異なる時代に生きた二人。
資料は少なくとも、その時代に未来の平和を強く祈って生きた女性が確かにそこにいたのです。
※マグダラの聖マリアの聖地については、当サイトのリンクにて詳しく記載いたしておりますので、よろしければご参考まで。